掛物「日日是好日」の意味と作者について

日々是好日の掛け軸

「日日是好日」は禅語として、また掛け軸としても、一般的に知っている人も多くて、とても有名な言葉ですよね。

でも、

  • 「日日是好日」ってどういう意味なの?
  • 「日日是好日」ってどういう時に使う言葉なの?
  • そもそも、「日日是好日」ってどう読むの?

など、

結構わからないことが多いと思います。

一つ一つ、読み解いていきましょう!

「日日是好日」の読み方は?

日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされるが、「にちにちこれこうじつ」とする例もある。

日常的な表現としては「ひびこれこうじつ 」とも読み、その読みで作品名などになっている例もあるが、同様に「ひびこれこうにち」[注釈 2]、「ひびこれよきひ」とする例もある。

引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』

私はずっと、「ひびこれこうじつ」と思っていました。
でも、禅語としては「にちにちこれこうにち」が一番正しいようですね。

一番わかりやすいのは、「ひびこれよきひ」でしょうか?

森下典子の人気エッセイ「日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせが映画化されましたが、
これでの読みは「にちにちこれこうじつ」ですね。

日日是好日 作者 森下典子

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「日日是好日」の読み方は、正しくは「にちにちこれこうにち」、
よく聞かれるのは「にちにちこれこうじつ」という感じですね。

どれが間違いなどということはなく、まずは上記の2つの読み方を覚えて置いたらいいかと思います(^-^)

「日日是好日」の作者と意味は?

「日日是好日」は中国の唐未から活躍した雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864-949年)の言葉です。

直訳すれば、「毎日がよい日だ」という意味です。

でも、人生楽あれば苦もありですよね。

素晴らしい瞬間もあれば、嫌な日もあります。
病気をしたり、仕事で大きなミスをすることもあるでしょう。

こんな日でも「いい日だな~」なんで言えるでしょうか?

でも雲門文偃は「好日」(よきひ)といいます。

ここに、深い意味があるんでしょうね。

さっそく紐解いていきましょう!

「日日是好日」の対語も見つつ、禅語として見ていきましょう

『禅林句集』の中でも最も有名な言葉「日日是好日」を読み解いていきましょう。

【原文】

日々是好日
風来樹点頭
日新日々新

『禅林句集』抜粋 雲門文偃 作

【訓読】

にちにち これこうにち
かぜきたりて きてんとうす
ひあらたに、ひびあらたなり

【訳】

月日の良し悪しはない。良し悪しは自分の心であって、心が正しければ悪い日は一日もない筈で、毎日は良い日である。

風が吹けば木の枝葉がなびくように、とらわれのない心のゆとりと行動が、日々を好ましい日にする。

毎日いい日が続いてすばらしいな~、などといった意味ではないんですね。

では、私達がいう、今日はよい日、悪い日という定義はなんでしょうか?

天気の良い日、受験で第一志望に落ちた、
ビジネスで成功した、好きな人にふられたなど、

よいことがあった・嫌なことがあったなど、ものさしで判断します。

でも、これは損得にとらわれた考え方ですよね。

これだと、いい日があったとしても、いつかもしかすると良くない日がくるかも・・・と、脅えることになってしまします。

「日々是好日」とは、どんな深い意味があるんでしょうか?

「日新」と続きますが、いい日、悪い日というこだわりを捨てて、その日一日をただありのままに生きる、そんな清々しい感覚なのかもしれません。

『ありの~ままの~♪』

・・・思わず、歌が流れてきました⸝⸝⸝˘◡˘♡

「日日是好日」雲門禅師のはっとする言葉

雲門禅師はある日、大勢の弟子たちに向かって
「十五日以前のことはさておき、これからの十五日以後の心境を一言でのべなさい。」とたずねた。

だが誰もすぐに返答が出来ずにいると雲門は自ら、即座に「日々是好日」と答えた。

出典:禅語ー日々是好日(にちにちこれこうじつ)

この雲門禅師の言葉を読んで、想像してみました。

15日後の自分の気持ちがどうなっているのか?

・・・

・・・

・・・

そんなことわからな~い!

でも、ハッピーな気持ちでいたいなぁ

と、私は思いました(笑)

あなたはどうでしょうか?
きっとほとんどの人が、将来の自分を幸せな心境であるようにと思いたいはずですよね。

では、なぜ雲門禅師はわざわざそんなことを訪ねてきたのでしょうか?

ここに、「日日是好日」の深い意味が隠されているのだと思います。

「日日是好日」の味わい方

日日是好日ありのままの自分でいることの意味

あなたは、どんな日でもいい日だといえますか?

一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、
天気だけでなく、得をした・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断しますよね。

雲門禅師の問いでは、15日後の自分なんてどうなっているのかわからないのに、
「日日是好日」だと彼はいいます。

たとえ15日後が、病気であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、

ただただありのままに生きれば、全てが好日ということなんです。

この「好日」ですが、好は好悪の好ではありません。

「熱がでて仕事ができないけど、これを機に健康のことを考え直そう」とか、
「この方法では失敗したけど、よし!次は違う方法で頑張ってちゃんレンジしよう!」など、

前向きに生きる決意の『よし!』 という気持ちの声とでもいいましょうか、それが 『好 』なのではないのかなと。

「嫌なことがあった日」が「好日ではない」というのではなくて、

嫌なことに対して、自分はどういう風に考えて、どんな行動ができたのか。

その結果、後悔のない自分ならば、よい日と言えるのではないのかな?と感じます。

人生は後戻りが出来ないです。
一度の人生ですから、悔いの残らない人生を送りたいですよね。

今までの失敗を経験として、昨日よりも今日をよりよい一日として、成長して行けたらと思うんです。
このような境地に至ることができたら、幸せなのかもしれません(^-^)

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